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西郷隆盛は現代で言うと「犬マニア」だった…?

西郷隆盛は現代で言うと「犬マニア」だった…?

日本の歴史上、「犬」と関連が深い人物というと、真っ先に出てくるのは犬公方と呼ばれた第五代将軍徳川綱吉と、明治維新に名を残した西郷隆盛なのではないだろうか。


上野恩賜公園(東京都台東区)内にある愛犬を伴った西郷隆盛の像/©Pmoon

東京都台東区内にある上野恩賜公園の一角にたたずむ愛犬を連れた西郷隆盛の銅像はあまりにも有名だが、考えてみれば人と犬とが一緒の像というのは思ったほど多くはないような気がする。

この銅像は、西郷隆盛の旧友であった吉井友実および薩摩藩出身の同志らによって企画され、明治26年(1893年)に起工し、4年後の明治30年(1897年)に竣工。その翌年の明治31年(1898年)に除幕式が行われたそうだ。

銅像の作者は彫刻家高村光雲で、その長男は詩人・彫刻家の高村光太郎であることはよく知られている。とは言っても、光雲が制作したのは西郷隆盛の像のみで、犬の像は彫刻家後藤貞行の手によるとされる。貞行は馬の彫刻が得意だったらしく、皇居外苑にある馬に騎乗した楠木正成像の馬の部分を制作したのも後藤貞行であるという話だ。

動物の姿やその様を表現するには、抽象的なものであるならいざ知らず、リアルに表現しようとすると、その動物のロコモーションを理解していなければ難しいだろう。芸術家、または表現に秀でた人は、科学的なものを乗り越えて、それを感覚的に理解できているのかもしれないが、どこから見ても凛々しい犬として表現されている西郷隆盛像の犬は、彼の愛犬であった薩摩犬の「ツン」(メス犬)であると一般的には言われている。

しかし、銅像制作時にはすでにツンが亡くなっていたため、同じ薩摩藩出身の海軍軍人仁礼景範宅で飼われていた薩摩犬のオス犬をモデルにして制作されたと伝えられており、ツンであって、ツンでないということになる。犬のサイズは西郷隆盛とのバランスを考えて調整されたようだが、ツンそのものを表現したかったというより、複数の犬を飼っていたとされる西郷隆盛のこと、その愛犬たちを代表する形でツンの姿が描かれたのかもしれない。


銅像脇にある石碑の中には西郷隆盛の愛犬についての記述は何もなく、ただ銅像の作者である高村光作の名があるのみ/©Pmoon

そのツンは、元々は薩摩在住の前田善兵衛なる人物の飼い犬であったのを、西郷隆盛が気に入り、譲り受けたと言われるが、そもそも薩摩犬とはどんな犬なのか?

和犬(日本犬)には秋田犬や紀州犬のように公認犬種となっている犬の他に、わずかながら特定の地域に現存する犬や、残念ながらすでに姿が見られなくなってしまった犬たちもいる。たとえば前者には沖縄県原産の琉球犬がおり、平成7年(1995年)には沖縄県天然記念物指定を受けている。

薩摩犬は(ほぼ)後者にあたり、一時復興も試みられたものの、純粋な血をもつ犬は絶えたのではないかと言われる中、ツンの子孫にあたるという犬の写真がご当地薩摩の観光ガイドサイトに掲載されている。

こころ 薩摩川内観光物産ガイド -西郷隆盛ゆかりの地- 

その姿を見る限りでは、どことなく四国犬に似ている気がするが、和犬らしい凛々しさと気概が感じられる。西郷隆盛もそんなところに魅力を感じていたのだろうか。

一方では、国分郷土館(鹿児島県霧島市)が所蔵する絵師服部英龍作の西郷隆盛の絵には、2頭の犬が一緒に描かれているが、1頭は斑模様があり、もう1頭は白であることから、薩摩犬以外の犬も飼っていたのかもしれない。

実際、西郷隆盛が滞在した旅館の女将が98歳になった時にインタビューを受けた記事が残されており(当時は32歳)、西郷隆盛は15~16頭の犬を連れてきていて、従者が二人、そのうち一人は愛犬の世話係だったと答えている。その記事には、「家の周囲に、大きな擂鉢を犬の数だけ並べ、兎の肉を食はせる。狩にはそのうちから3匹くらいづつ交代につれて行き、市左衛門氏(女将の主人で旅館の経営者)がその道案内を勤めた」とあるが、雨が降らない限り、毎日のように開聞岳の麓あたりで猟をしていたようだ(*1)。

獲物はほとんどが兎で、それは犬たちの栄養源となる。猟での西郷隆盛は大きな体に反してかなり俊敏であったそうだが、猟の成功率はそれほど高くなかったらしい。この旅館を江藤新平が密かに訪れた後、西郷隆盛もこの地を離れることになるが、その際、世話になったお礼として置き土産に、一番大事にしているのは犬であるから、そのうちの1頭をやろうかと申し出たという。それを旅館の主人は有難く思いつつ、農夫(農業も営んでいたようだ)には犬は必要ないからと丁重に辞退し、代わりに隆盛愛用の襦袢をもらったという話である(*1)。


西郷隆盛(1928年~1877年)/出典:近代日本人の肖像、国立国会図書館

また、大正5年に出版された「偉人の家庭」では、西郷隆盛についてこう書かれている。

「彼の最も好めるは犬にして、他より如何なる物を贈らるるも受けざりしがただ犬に関せるものは喜びて之を受けぬ」(*2)

中でも犬の絵画が好きで、そうした贈り物をもらった時には子どものように喜び、暇さえあれば集めた犬の絵を眺めるのが好きだったとある。従弟の大山巌に送ったという書状には、犬の首輪を送ってもらったお礼に加え、サイズが合わないので、もう少し大きめのものを4~5個欲しいといった意味の一文もあったという話である(*2)。

さらには、史実なのかフィクションなのかはわからないが、陸軍大将となって東京に住むことになった西郷隆盛は、女手のない生活ぶりを見た人から、奥さんを呼び寄せないのか?と聞かれ、自分にはすでにお鶴とお松という二人の女性がいると答えたそうな。従者にその二人を連れて来るように言った隆盛。しばらくして連れてこられたのは、2頭のメスの猟犬で、「いづれ劣らぬ別嬪ならずや」と言ったとか(*3)。

最終的には西南戦争を迎え、愛犬たちとも別れることとなるが、きっと自分の最期も覚悟していたのであろう西郷隆盛は、どんな想いで愛犬たちと別れたのであろうか。

一般的に、銅像は正装姿であることが多く、敢えて普段着で犬を連れた西郷隆盛の銅像には、政治的な思惑もあったという説もあるが、どちらにしても庶民に親しまれる銅像になったことは間違いないだろう。上野の山の西郷どんは、今の世の中を、今の犬の世界を、どう見ているのだろうか、もし現代に生きていたとするなら、そんな愛犬家になったのだろうかと想像してみたくなる。

参考資料:(*1)生きている歴史 -西郷隆盛と江藤新平-/毎日新聞社サンデー毎日編集部編/教材社(昭和15年)、p12-23/国立国会図書館デジタルコレクション

(*2)偉人の家庭/榎本秋村著/実業之日本社(大正5年)、p237-238/国立国会図書館デジタルコレクション

(*3)名流百話/渡辺新鬼著/文鈴堂(明治42年)/国立国会図書館デジタルコレクション

文/犬塚 凛

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